東京大学大学院農学生命科学研究科獣医生理学教室教授西原真杉

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1.教室の小史と現況
  獣医生理学教室は設置されて100年を越える歴史を有する研究室で,この間,島村虎猪,星冬四郎,鈴木善祐,本間運隆,高橋迪雄の各教授が歴任され,平成12年より私が担当しています.当教室は高橋教授の時代にも研究室紹介させていただいていますので沿革等はそちらに譲りたいと思いますが(「生殖内分泌分科会NEWSLETTER」No. 3, 1998),伝統的に哺乳類や鳥類の生殖生理学をメインテーマとした研究に携わり,卵巣静脈血や精巣静脈血を用いた性ステロイド分泌動態の解明,ウズラにおける脳内光受容系の発見等,各時代における先駆的な研究成果を挙げてきました.現在(2004年7月)のスタッフは私と山内啓太郎助教授,鈴木正寿助手の3名ですが,鈴木助手は8月よりウィスコンシン大学に転出する予定です.教室には獣医学専修の学部学生,獣医学専攻,応用動物科学専攻の大学院生など総勢約20名の学生さん達が在籍し,活発な研究活動を展開しています.
  現在,獣医生理学教室では動物における個体および種の維持機構の解明という観点から,「成長と生殖の分子機構」をメインテーマに,神経生物学的あるいは細胞生物学的研究手法を取り入れた幅広い研究を展開しています.研究には私達自身で作出した遺伝子改変動物を多用するとともに,附属牧場で系統造成されているシバヤギ等を用いた実証研究にも取り組んでいます.動物体内で営まれる生命現象とその調節機構に関する基礎的研究を基盤として,新しい動物産業への展開や病態に対するより深い理解など,応用面への貢献を目指すことができればと考えています.具体的には,以下のようなテーマの研究を行っています.

2.現在の研究テーマ
1)生殖機能の中枢制御機構に関する研究
  動物の脳には形態的にも機能的にも性差が存在し,性行動の雌雄差や性周期の有無を生じる原因になっています.このような性差は,発生過程の一定の時期(臨界期)に性ステロイドが脳に作用し,性分化を誘導することにより生じます.われわれは,cDNAサブトラクション法やマイクロアレイ法により,性分化の臨界期に性ステロイドで脳に発現誘導される因子としてグラニュリンやp130をはじめとするいくつかの遺伝子を同定し,さらにグラニュリンノックアウトマウスを作出するなどして脳の性分化の分子機構を追究しています.また,近年成熟動物における性ステロイドの神経保護作用,すなわち脳における神経幹細胞の分裂促進や細胞死の抑制により脳機能を維持していく作用に注目が集まっています.われわれは神経保護作用においても性ステロイドによりグラニュリンなどの成長因子の遺伝子発現が上昇していることを明らかにするとともに,性ステロイドと成長因子の共役機構を解析しています.
  一方,生殖機能はストレスにより強く抑制されることが知られています.われわれは感染ストレスがサイトカインを介してGnRHパルスジェネレーターを抑制することを発見するとともに,ストレスにより分泌が促進されるグルココルチコイドが従来の概念とは逆にむしろ生殖機能を保護していることを実証しました.また,ストレスによるグルココルチコイドの分泌には明瞭な性差がありますが,このような性差の生じる仕組みやその生物学的意義についても検討しています.さらに,脳が生殖機能を支配する最終共通経路となるのはGnRHニューロンですが,われわれはGnRHニューロンにEGFPを発現するトランスジェニックラットを作製し,GnRHニューロン・ネットワーク系の構築機構について追究しています.また,ステロイド代謝酵素(20α-HSD)のノックアウトマウスを作製し,性ステロイド中枢作用の修飾機構や新規ニューロステロイド代謝についても検討を行っています.
2)成長・代謝の中枢制御機構に関する研究
  動物の成長や代謝の制御に関わる成長ホルモン(GH)は,持続的にではなく間欠的に,すなわちパルス状に分泌されており,そのパルスパターンが生理作用の発現を規定しています.われわれはシバヤギのGHパルスがきわめて規則的であることを見い出し,また脳脊髄液の連続採取が可能であるというシバヤギの特長を活かして脳内の神経ペプチド動態と末梢血中のGHパルスの相関を解析することにより,GHパルス発生機構を検討しています.その結果,GHパルスは従来考えられてきたようなGH放出ホルモン(GHRH)とソマトスタチンによる相反的な制御ではなく,むしろグレリンやニューロペプチドYによる制御を受けていることが明らかになってきました.グレリンやニューロペプチドYは摂食制御にも関与するペプチドであり,摂食とGH分泌とが協調的に制御されていることが示唆されます.さらに,GHパルスのパターンは性周期により大きく変動し,エストロゲンにより促進され,プロゲステロンにより抑制されることを明らかにしました.このような性ステロイドによるGHパルスの修飾が,生殖の各ステージに適した体内代謝環境を形成することに貢献していると考えられます.
  一方,われわれはヒトGH遺伝子を導入したトランスジェニックラットを作出し,成長や脂肪蓄積,あるいは摂食制御におけるGHの意義を解明しています.本トランスジェニックラットでは肥満やインスリン抵抗性,骨格筋量の低下,骨密度の減少などの興味深い表現型が観察され,動物が本来備えていると考えられるインスリン抵抗性に対する補償機構や,骨格筋減弱症併発性肥満の発現機序,さらにはGH分泌低下に伴う骨粗鬆症発症機序などを解明するためのモデル動物としても利用し研究を進めています.
3)間葉系幹細胞の分化制御機構に関する研究
  動物の骨格筋は多核の筋線維から構成されていますが,筋線維の筋形質膜と基底膜の間には筋衛星細胞と呼ばれる単核の細胞が存在します.筋衛星細胞は通常休止状態にありますが,若齢動物が成長して骨格筋が発達する時期には活性化し,増殖・分化したのち,最終的には既存の筋線維へ融合します.また,骨格筋が損傷を受けた場合にも筋衛星細胞は活性化し,同様の過程を経てお互いに融合し新たな筋線維を再生します.近年,筋衛星細胞は筋細胞だけでなく間葉系の他の細胞(脂肪細胞,骨細胞など)へも分化しうることが発見され,間葉系幹細胞としての性質も持ち合わせている可能性が考えられています.われわれは骨格筋の発達,再生に重要な筋衛星細胞の増殖や分化の制御機構を解明するとともに,間葉系幹細胞としての性質にも着目し,他の細胞,とくに脂肪細胞への分化がいかなる機構により生じるのかを明らかにしようとしています.これまでの研究の結果,筋衛星細胞の有する潜在的な脂肪細胞への分化能は骨格筋毎に異なること,また筋衛星細胞が筋細胞または脂肪細胞のどちらに分化するかの決定には細胞外環境やパラクリンファクターが大きく関わっていることが示されています.骨格筋内に脂肪が蓄積する現象としては霜降り肉が有名ですが,加齢時や筋原性疾患時にも見られ,これらの研究成果は骨格筋内への脂肪蓄積を人為的に制御したり骨格筋病変を治療する方法論確立への応用が期待されます.

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